報恩寺について
寺院名 | 熊谷山 報恩寺(ゆうこくざん ほうおんじ) |
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宗派 | 曹洞宗(そうとうしゅう)(禅宗) |
宗旨 | お釈迦さまがお悟りを開かれた坐禅を根本の行とし、わたしたちにうまれつき具わっているお釈迦さまと同じ尊い仏心に目覚め、それを日々の生活に生かしていくことを宗旨としています。 |
本尊 | 釈迦牟尼仏(お釈迦さま) |
両本山 | 福井県の永平寺(高祖道元禅師ご開山) 横浜市の總持寺(太祖瑩山禅師ご開山) |
本尊唱名 | 「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。 |
お経 | 修証義 般若心経 観音経 寿量品等の諸経典を読誦し、正法眼蔵、伝光録等の祖録を教えのよりどころとしています。 |
伝統 | お釈迦さまのお悟りを、歴代の祖師方が正しく相続し実践されてきました。「正伝の仏法」といいます。 |
伝道 | 今からおよそ百年前の鎌倉時代に、道元禅師が中国より日本に伝えられて、ゆるぎない基礎をきずかれ、四代目の瑩山禅師がお弟子たちとともに各地にひろめられました。 |
教義 | わたしたちは、さまざまなご縁に恵まれて生かされて生きているのに、そのことに気づかずに自分勝手な生活をして、悩み・苦しみのもとをつくり、空しい日送りをしがちです。 そのことを反省し懴悔して、仏さまの戒めを守り、仏心に目覚めた生活をするならば、おのずから心が落ちついて生活を調えられ、社会に役立つことを喜び、苦難に耐えて生き抜く信念が生まれます。そこに生きがいと幸福を見出すのが曹洞宗の教えです。 |
所在地 | 〒360-0813 埼玉県熊谷市円光2-8-1 |
電話番号 | 048-525-8000 |
報恩寺のご本尊
ご本尊というのは、寺院などで信仰の主な対象となる仏像のことをいいます。報恩寺では、仏教を開かれたお釈迦さまの像がご本尊として本堂にまつられています。 お釈迦さまは、いまから2500年ほど前のインドで、お城の王子さまとしてお生れになりました。お釈迦さまは、恵まれた環境で何不自由なく成長されましたが、ある日、お城から出ようとしたとき、病気に苦しんでいる人や年老いた人、死んだ人などをご覧になりました。
人間の世界が、生まれては老い、病んでは死んでいく苦しみに満ちみちていることが心にやきついたお釈迦さまは、すべての苦しみをはなれ、心やすらかに生きる道はないものかと深く悩まれました。
その答えを求めて、お釈迦さまは、王子の位やすべての財産を捨てて城を出、苦しいご修行を6年ものあいだ積まれました。しかし、体を痛めつけるだけの苦行では悟りを開けず、お釈迦さまは山を出られ、心が落ち着くのに一番よい姿勢の坐禅を菩提樹の下でされ、人がほんとうに幸せになるには、どのように生きたら良いかを悟られたのでした。
それから45年のあいだ、ご自分の悟られたことを、さまざまな方法で人びとに教えて歩かれました。これが仏教のはじまりです。
インドで広まった仏教は、やがて中国に伝わりました。最初は学問ばかりが重視されていましたが、やがて、実践的な体験(お釈迦さまが悟りを開くときになさった坐禅)を中心とする「禅宗」がインド僧の達磨大師によって起こされました。
さて、仏教は欽明天皇の時代(538年頃)に、日本にも伝わってきました。日本でも多くの人々が仏教の修行や勉強をしましたが、鎌倉時代に道元禅師というお坊さまがいらっしゃいました。道元禅師は日本で仏教を学ぶだけでは足りず、当時仏教の盛んだった中国に渡られ、禅宗の教えを学んだ如浄禅師を師匠として5年のあいだ学ばれました。
その後、道元禅師はひたすらに坐禅すること(只管打坐)を教えの基本として日本に曹洞宗という宗旨をお開きになり、越前志比(いまの福井県吉田郡永平寺町)に永平寺をお建てになりました。道元禅師から4代目の瑩山禅師は、道元禅師の教えをふまえながら、さらにその時代の人々に受け入られやすいように広めていきました。
報恩寺は、こうした仏教の流れをくむ曹洞宗のお寺なのです。